息子は、昨年の秋ごろから、ある競技の稽古に取り組んでいる。
3年ほど前からやってはいたのだが、あらゆることに興味を持つ息子は、遊びも含め、その競技以外の様々なことにハマってきた。
そして、気がついたらしい。
やっぱり、コレが好きだということ。
そして、楽しいだけじゃなくて、ものすごく強くなりたいということ。
天才や神童と言われるような子ども達がゴロゴロしている競技に、息子は、今、目覚めたのだ。
スポーツやその他の競技や楽器等、何かを突き抜けるレベルで習得する際に必須となる条件は、徹底した基礎力。
脳味噌が究極の柔らかさを持ち、そこに、あどけない素直さと純粋さを兼ね備えた幼児期に、徹底した基礎力を身につける訓練をした子が、神童や天才と言われる存在になっていくんだろうなと、私は思う。
一方、息子は神童ではない。天才でもない。
親の言うことに対し、50%ほどしか素直になれない思春期が始まって間もない男子だ。
そして、これまで生きてきた分だけ、良くも悪くも、利口になってしまっている。
あちらこちらから情報を仕入れてきては、次々と習得術に目移りしてしまい、素直に基礎力を積み重ねる重要さを忘れている姿も見受けられる。
それでも、本人としては、十分一生懸命なのだ。
昨夜、夫が、あまりよくない気分で仕事から帰宅。少しお酒も入っていたのであろう。
なかなか成果を上げきれない息子について、ひどい内容の愚痴をこぼした。
当然、それを聞いた私は、腹が立った。
言い返そうと思ったが、言い返さず、さっさと寝た。
今朝、起きて、思った。
夫は、勤務する会社において新規事業で成果を上げるため、常々プレッシャーを感じながら過ごしている。
夫だって、もちろん成果を上げたいのだ。
とは言え、やったことのない事業の成果は、そう簡単に上がるもんじゃない。
知らないことだらけで、気が遠くなることばかり。
息子の姿を見て、いろんな要因があるにせよ、なかなか成果を上げることができず、もがいている自分を見たのかもしれない。
疲れていたから、そんな愚痴が出たんだろうね。
夫に言った。
「子どもに対する親の務めは、子どもが自立するまで見守り応援すること。
そして、自立のタイミングが来た時に、真っ先に、ドンと背中を押してあげること。
子どもが何かの競技で強くなること(させること)が、親の務めじゃない。
それは、やっている本人が望むことであるし、その競技への精進を通して、本人の人生が豊かになれば良しと私は思っている。」
息子は神童でも天才でもない。
私達の大切な子だ。
息子を出産して間もない頃、「鹿児島の大自然の中で育った私が、果たして大都会の東京で子育てができるのか?」と、不安だらけの私に勇気をくれたのは、他でもない息子だ。
息子が生まれ親子で成長してきたからこそ、東京にも、こんなキレイな青空があって、大きな木々が茂って、メジロが飛び交い、助けてくれる優しい人が沢山いることを知ったのだ。
夫よ。安心しろ。
私達の息子は、ちゃんと育っている。
あなたが、週末の早朝、眠い目をこすりながら、息子の弁当を作るのは、ひとりで戦いに挑む息子を少しでも勇気づけたいからでしょ?
あなたは立派な父親だよ。
だから、あなたも自分がやりたいことがあるなら、思う存分、精進しておいで。