
先日、娘が息を切らしながら学校から帰宅した。どうやら通学路を走って帰ってきたようだ。
「母ちゃん、おじさんが公園で倒れてる!たまに公園にいるおじさんだよ。
迷ったけど、今日はひとりで帰ってたから、話しかけなかった。でも、倒れていたんだよ。どうしよう~?」
娘は、重いランドセルを背負い、走って帰ってきた。
娘にとって、それは緊急事態なのだ。
倒れている人を見れば心配だ。
でも、自分ひとりでは、どうすることもできないし、万が一、自分の身に何かあれば大変。
まずは家に帰り、母親の判断を仰ごうと思った様子。
「じゃぁ、母ちゃんと一緒に見に行ってみよう。」と、私が出掛ける用意をして家を出ようとしたところ、いつもより早く息子が帰宅。
「母ちゃん、公園でさ、おじさんが倒れてたんだよね。
最初はさ、無視しようかなとも思ったんだけど、「やっぱり・・」と思って。
でも、突然、暴れたりしたら嫌だからさ、友達と一緒に声を掛けたんだよ。
「大丈夫ですか?」って。
そしたらさ、どう見ても、酔っ払っているんだよ。
そのうち、他の子達もたくさん集まってきてね。
おじさんは、大丈夫だから!と、口では言うけどさ。
寒いし、このまま放おっておいたらダメだと思って。
大人を呼ぼう!
と、近くを歩いていた人にお願いしたら、たまたま、その人がおじさんのことを知ってたんだよ。
その人が、とりあえず家に連れて帰るからって。
だから、みんなで起こしてあげたよ。
おじさん、ちゃんとしゃべってたし、歩いてたから大丈夫だよ。」
その話を聞いた娘は一安心。
「良かった~。死んでしまうかと思って心配したよ。」

そうか、そうか、それは良かった。
娘は、まだ一桁の年齢。そして、息子は、その3歳上。
それぞれの成長の段階、そして、男女の違いもある。
その違いはあるにせよ、自分が出来る範囲で人を助けたい!
でも、自分自身も守らなきゃいけないという意識がしっかりと根付いているんだなぁと感心する出来事だった。
一方、私だったらどうしたかな?
酔っ払っている知らないおじさんに直接声を掛けることは出来ただろうか?
「YES!」と即答できない私。
なんか面倒くさいことになったら嫌だな・・・と自己防衛本能が威力を発揮しそうだなぁ。
子ども達は、「おじさんを助けた方が良い」という判断で、自分達に出来ることをやった。
それ以上もそれ以下もない。
やってもないことに対して面倒なことになるから・・と最初から結末を決めつけて行動しているのは大人なんだね。
経験が邪魔をするとはこのことだわ・・・。
情けは人の為に成らず。
他人を助けることは、自分の命を守る経験を積み重ねているとも言える。
自分ができないことをする必要はない。
とは言え、他人を助けるという行為は、頭と身体をしっかりと使って判断することを求められる行為だ。
その行為が積み重なり、あらゆる状況において自分の判断力が鍛えられるということに繋がるよね。
何事も無かったかのように、美味しくおやつを食べる子ども達を見ながら、少し反省をする母ちゃん。
やっぱり、子どもってすごいなぁと心の底から感じる時間でした。