東日本大震災から9年。子ども達が子どもらしくあるために私ができること

あ~美しいねぇ。

これは、10日ほど前、鹿児島から両親が上京した際に、一緒に立ち寄った神社で撮影した紅梅の写真。

あの紅梅、いまはもう散ってしまったかな?

手を合せると心が落ち着くので、神社を見掛けると、ついつい立ち寄ってしまう。

手を合せると言えば・・・

政府主催の東日本大震災の追悼式も中止になったとか。

あの地震が発生した直後、赤ちゃんだった娘をおんぶしながら「次、いつ揺れが来るかわからない!」

「とにかく食べられる時に、家族に何かを食べさせよう。」と、豚の生姜焼きを作ったことを今でも覚えている。

あの時は、まだ賢者の非常食・乾燥納豆甘酒なんて知らなかったからね。

そして、私が料理をしている間、幼い息子はテレビで流れる震災の生中継映像を見ていた。

それがキッカケだったのだろう。

それから数日が過ぎた頃から6年くらいの間、息子はテレビのニュースを一切見ることができなくなってしまった。

事件や事故のニュースが流れる雰囲気をいち早く察知して、大騒ぎをして別の部屋に逃げていた。

あの時、映像を見せるなんてしなきゃ良かった・・。なんて、後悔しても始まらない。

そんなことは誰にでも起こりうることだし、あの時は緊急事態過ぎて、そんなことに意識が回る余裕がなかった。

当初は、このままの状態が続いたらどうしよう・・・と不安だった。

でも、数年が経った頃、あることに気がついた。

それまでは、「きっと、息子は、事件や事故等、不幸な出来事に触れそうになると、震災の時に見た映像が蘇ってきて恐怖を感じているに違いない」と思っていた。

しかし、息子がテレビの前から逃げるタイミングをよくよく観察してみると、確かにあの震災の影響もあるけど、他の原因の方が大きいのではないか?と感じるようになった。

じゃあ、息子は何から逃げていたのかというと・・・

それは、

ニュースを伝えるアナウンサーの声と表情だ。

「次のニュースです」という話題を切り替える瞬間に、アナウンサーのお家芸とも言える声と表情の変化。

これが怖かったのだ。

その証拠に、息子は、テレビの無い部屋に駆け込む割には「何があったのー!?」「誰がどうしたのー!?」と大声で質問してくる。

ニュース自体には、とても興味があるのだ。

(もちろん、ニュースを伝えるアナウンサーの皆さんには何の責任もありませんよ!)

ただ、ひとつ言えることは、人間の声色や表情は、それを見ている人の心に大きな影響を与えているということ。

ということは・・・子ども達と共に長い時間を過ごす私の声や表情って、大き過ぎるどころか、絶大な影響を与えている!という事実に気がついたのだ。

あ~、母ちゃん、またやってしもうたぁ~。と、その時に猛省した。

子どもだって、一歩外に出れば社会の一員。

いまこの瞬間も世間で大きく騒がれている出来事に多少なりとも、しっかりと影響を受けて帰ってくる。

そんな子どもに対して、外と同じように、眉間にシワを寄せるような声色でザワザワしていたら、心の底からゆっくりできる場所なんて、どこにも無くなってしまう。

子どもが口にできる言葉なんて氷山の一角。

親の声色次第で、その氷山の一角ですら海中(心の中)に沈んでしまうかもしれない。

こんな時こそ、子どもが子どもらしくゆっくりできる場所を作ってあげる。

これが大人の責任だ。

自分だけ!うちの子だけ!では、絶対に子育てはできないから。

でもね、それぞれ事情があるから。可能な範囲で助けあっていこう

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